電車旅行してたら雨に降られて家に帰れんくなった話

各鉄道会社が格安フリーきっぷを打ち出し、さあ旅に出よう!なんて思っている方もいるのではないでしょうか。

そもそも旅とは、自分の居住場所を離れ他所の場所に行くことをいいます。

しかしそうは言ってもその手段は様々にあります。一番言葉としての馴染みが深いのは船旅でしょうかね。船旅、電車旅、自転車旅etc…のように、その他所の場所に行く手段によって名前は変わります。もちろん、その手段とよって起こりうるトラブルも変わってきます。

トラブルとは不可抗力とそうでないものがあります。前者は人身事故、天災などでしょう。後者は例えばお金を落としたとか荷物を忘れたとかそのようなものになります。

もちろん旅の途中で財布を落として帰れなくなったこともありますが、今回はそんなトラブルが生ぬるく感じるような"長野のド田舎で帰るすべなく立ち往生しかけた"…そんな話をしたいと思います。

ちなみに財布を落とした時はお母さんに来てもらいました。

なお、財布は駅に届けられていたようで、後日自宅に宅急便で届けられました。日本バンザイ

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『トラブルは時と場所を選ばない』

この時私は中学三年生。高校受験を前に最後の夏休みだったと思う。

中学二年生の頃に5泊6日の青春18きっぷによる一人九州旅行を成功させ、距離に対する感覚なんてもうすでになくなっていた。関東平野を庭だと言って(大回り乗車で)駆け回っていた、そんなお年頃。

いつも通り18きっぷ片手に始発の川口駅で電車を待った。4時38分初の始発はもはや親友か。もう1番乗ってる京浜東北線はこいつだろうな。ちなみに今の始発は4時39分になっている。

夏休みでも冬休みでも、はたまたGWでもこの時間はホーム上にいる人数なんて変わらない。でもまあ、少なくともこの時間に大きなリュック担いで電車に乗り込む人は同じ気持ちで電車に乗ってるんだろうななんて思ってたりもした。

この時期は荒川を渡ると東の空から明るくなっていく空を見ることが出来る。夏はこの朝日が旅の始まりだ。

座ると普通に寝過ごすので、この電車だけは基本的に立って過ごす。たかが30分程度なのですぐに着く。

さて、ここで今回の旅の旅程を紹介する。

東京から豊橋まで東海道線をくだり、そこから飯田線に乗り、中央線で戻る行程。その中でも豊橋発岡谷行きは当時の滝川発釧路行きに次ぐ、2番目に長い普通電車だ。約7時間同じ電車に乗り続ける。

そして、例によって観光時間のへったくれもないただの乗り鉄旅。これが私の恒例だ。

さて、ここではそんな題名にそぐわない旅の話はすっ飛ばして、飯田線完乗の旅にて乗車した岡谷行きのほぼ終わりの方に位置する辰野駅から話を始めよう。

旅に出た日はたまたま諏訪湖の方で花火大会が敢行されるらしく、岡谷に近づくにつれ浴衣や甚平姿の乗客が目立ってきた。

しかし、そんな客とは裏腹天気はドス黒い雲が行く先を湿らせているようだった。

地図を見てもらうと分かるのだが、辰野岡谷間は川沿いを進む鉄路になっている。

運悪く、その周辺にその雲が立ち上っていたようで…

電車は多量の客を乗せたまま、辰野駅で立ち往生。

理由はもちろんお分かりですね?

まあこの程度のゲリラ豪雨ならすぐ動き出すだろうと豊橋から座り続けたその場所を動くことなく待った。

17時半。本来なら"日本で2番目に長い普通電車"を乗り通したはずだが、まあ仕方ない。待つしかない。

しかし、動き出さぬままに時間はすぎていく。

もう1時間たった頃その雨がどんなに凄まじいものだったのか間接的に知ることになる。

その内容は、諏訪湖の氾濫だった。

当然、花火大会は中止。…まあ、自分にとっては浴衣姿のかわいい女性を見ることが出来たので良しとしておこう。

さて、一向に動き出さない飯田線。時刻は19時を回る。時間にして約8時間半も乗っている頃。その頃にはすでに予定通りの進行を諦め、このあとの旅程を調整すべく時刻表のページをめくっていた。

「キミ、どこから来たの?」

時刻表と服装をみてそう判断したのか、近くに親らしき人物がいなかったから話しかけたのか、分からない。今考えれば当時の自分は中学三年生、親のいないこの状況を考慮して声掛けてきたと考えるのが自然だろう。向こうは20歳前後の女性が2人。子供のことを気にかけることは考えられるが…この時はまだ深く考えてはいなかった。

「東京です」

ちなみにその頃の私は「まあ特急で帰ればいいか」と適当にケリをつけ焦りも幾分収まっていた。

「ふーんそうなんだ。何歳?」

………

なんて話をしていくうち、何故か意気投合。様々な地元話に花を咲かせ時間を潰した。

…"辰野駅で折り返します"

このアナウンスは、もうしばらくは辰野岡谷間は復帰出来ないことを意味していた。

そして、もう一つ。私は家に帰れない。

しかし、(そのあとの鉄路の予定が崩れたとはいえ)落胆はしていなかった。青春18きっぷは基本的に5回分1セット、明日になれば鉄路も復活しているだろうし、復活していなくても最悪戻れば豊橋方面から抜けることも出来る。

つまり、宿泊場所さえどうにかすれば帰ることが出来る。

しかし、その肝心な宿泊場所はどこになるのか。当時はネットカフェなんて使えない。(年齢的に)

…一応そういう時の最終手段が実はある。あまり推奨された手段ではないが、駅の待合室で一夜を過ごす"駅寝"と言われるものがそれだ。

この気象状況でそれを敢行するにはどれほどのリスクがあるかなんてわからない。ましてやただあるだけの掘っ建て小屋でなにかあったらどうする。

とかなんとか年柄にもなくリスクマネジメントをしていると…

「坊やうち泊まってく?」

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『超田舎に泊まろう』

20歳前後の異性からそんなお誘いが来る…(結果論はさておき)そんな今後来るかもわからない誘いを断るたあ男が廃る!

…そんな気概も無く、少し悩んだ。本日知り合ったような大人の女性…下心抜きにして信用して大丈夫なのだろうか。

「じゃあお邪魔させていただきます」

と言ったかは確かではないが、とにかくお邪魔させてもらうことにした。

ちなみにこの旅程はもともと1泊2日の旅程なので親への連絡は一切していない。なんなら未だに親に口外していない。

損害という損害は、当時乗る予定だったムーンライトえちごのきっぷは無駄になってしまった(払い戻しが可能だったが、乗らないことが確定した時点で払い戻しする暇がなかった)くらい。

超田舎に泊まろうが決まった時、俺たちを乗せた電車は豊橋方面へと折り返し運転を始めた。

山の天気は変わりやすい。しかし、飯田線は確かに山を通る路線ではあるが、飯田~岡谷間は山と言うよりは山沿いをひたすら進んでいくような路線である。とはいえ大雨をふらせただけの気象の不安定もあり、まばらに雨が降り出したと思えば窓に叩きつけ、叩きつけ始めたと思えばすぐに止む。

その繰り返しだったと思う。

目的地の駅に着いた頃…辰野を出てから二時間程度した頃には雲も晴れつつあり、都会では見れない星空が僅かに覗いた。黒い雲は涼しい風に乗ってしきりに流れていく。この時吸った空気は都会暮らしの私にとって、地元に(埼玉県川口市)いる限りは一生見られないなと。

誘ってくれた家庭は車を用意してくれていたらしく、お迎えの人(その二人の父親?)と女性二人、そして私4人で家に向かった。

十分程度でその家庭に到着。周りの景色は暗くて見えなかったが、家屋が和風な木造建築であることは分かった。

先程までの不安は既に無くなっていた。唐突に始まった超田舎に泊まろうは晩御飯から始まった。和風な家に相応しい新鮮な料理は林間学校を彷彿とさせた。先までのトラブルのことなんてとうに忘れ、家庭に馴染むことが出来た。

さて、先程駅寝を考えた筆者だが、その選択はもしかしたら相当厳しいものになっていたかもしれない。

田舎の夜は寒く、雷雨上がりの冷たい風がこの場所を吹き抜けている…勘が鋭い方は直ぐにおわかりだろう。半袖半ズボンで寝るには寒すぎる。

それは翌朝実感した。朝七時くらいに飼っていた犬の散歩に川に出たのだが、普通に寒い。

震えるような寒さ…って訳では無く寝るには少々難しい程度の寒さだが、深夜は分からない。もし駅寝をしていたとしたら…以前に、もしかしたら寝れなかったかもしれない。こんな夜の田舎、それもコンビニ一軒ない場所に深夜一人10キロ20キロ歩き回っていたかもしれない。

それはそれでありかもしれないが、こんな田舎の風情を楽しみながら夜を過ごした方が良かったに決まっている。

冷たい川の水、足首まで浸かるのが限界だった。いまはからりと晴れた空にきらりと輝く水しぶきを眺めていればそれで充分。

朝ごはんはパンだった。バターを塗っただけのシンプルなものだったのに何故か忘れられない味。その家庭がパン屋をしていたのかは定かではないが、一緒に名刺も渡してくれた。

さらにこの後、俺は人生で初めてのお見送りというものまでしてもらった。ほんとに、バラエティ番組で見たような光景を想像してもらえればいい。あれを経験したから言える。お見送りの場面で涙ぐんでいるのは決して演技ではない。と。

写真とかがあればいいのだが、7年前はガラケーだったゆえにデータは一切残っていない。しかし、貴重な体験だった故、この記憶は明瞭なままにお墓まで持ち込むことになりそうだ。